土井善晴さんの『一汁一菜でよいという提案』を読んだ。
今さらな感じもするけれど、手にした当初はページをめくる手が進まなかった。なんだか勝手に責められているような気がしてしまったのだ。その頃は年末で、1年の疲れとなかなか治らない鼻水と咳がしんどかった。そのせいだと思う。
夫がぱらぱらとめくっていて楽しそうにしているのさえ、ちょっとうっとおしかった。それくらい疲れてた。
年が明けて色々リセットされたせいか、久しぶりに手に取ったらするすると読めた。
子どもを持ち働いていてよく聞かれるのが、「ごはんの支度って大変ですよね」ということだ。
確かに大変、なんだけど一食だけ切り取って見ればそんなに大したことはしていない。
なぜなら我が家は基本一菜だからだ。
うどん、しゃけごまごはん、ちょっと頑張ってオムライス。餃子は最高。
一応副菜のほうれん草とかスープとか出してみるけど、ほとんど食べない。そしたら出さないでいいか、という日も続いていた。
夫は深夜遅くに帰宅するので夕飯のタイミングは基本別で、大人なんだから自分でなんとかせい、こっちはひとりでやっとるんじゃというスタンスでやってきた。
でも朝起きてみるとコンビニ飯やお菓子の残がいが散らかっていることも多かった。
それらを、ちょっとだけ変えてみるか。と読んでから思い始めている。
食べなくてもいいから、ちょっとだけ春菊の胡麻和えを出してみる。
おいしーい、と私が食べながらリアクションしてみる。
ほんの1センチぽっちりにして、食べてみる?と誘ってみる。
すると、たまーに、食べるのだ。
弟なんて、もぐもぐしながらもっとーと言っている。
ちょっとびっくりして、ちょっと嬉しくなった。
食べても食べなくてもいい。とりあえず出してみて、時期がきたら食べるかもしれない、ぐらいでいいんだな。
夫の夕飯の支度は、おかずをのせたお皿をお盆にのっけて、食器もセットしておいて置いてみた。
LINEはしておいて。
翌朝、食べたあとの食器がシンクに下げてあったのをみてしめしめ、とほくそえんだ。
いきなり毎日はできないけど、ちょっとだけこれまでよりも手を伸ばしてみる。
ほんの少しでも『いい手』に近づきたいから。